最近、プールに来てくれている低学年の(a)子どもちゃんを持つ、(b)ママさんからいただくお声として…、
・子どもがだらだらしすぎて…
・もっとちゃんとしてほしい…
・いったい何が気に入らないのだろうか…
・厳しくいった方がいいんだろうか…
・とにかくシャキシャキしてほしい…
・もっと頑張ってほしい…
このようなご相談や光景を目にします。
そのようなお声を頂くと、(b)お母さんの気持ちにも答えようと、
・だらだらしている理由を聞いたり、
・子どもへの働きかけを変えてみたり、
・時に期待をぶつけながら、
・手立てを一緒に考えて
・関わります。
このような場面をみて、改めて大事なことだと気づかされることがあります。
それは、
(a)お母さんの気持ちにしっかりと寄り添いながらも、
“現場”で直接子どもたちと関わる場面では、(b)子どもの気持ち”への共感。
◎なぜ、だらだらしたくなるのだろうか?
◎だらだらすることに目的があるとしたら、それはいったい何だろうか?
です。
このような場面に遭遇すると、(a)お母さんの気持ちに答えようと、
・厳しく指示したり、
・頑張りなさいと動機づけをしたり、
・頑張らないと〜は無しだからね!と、罰的な関わりを強めてしまいがち。
でも、
だらだらしたい気持ちのど真ん中にいる“子どもの視点”にたつと、更に見えてくものがあります。
私達大人も、だらだらしたいときってありますよね。
だらだら過ごしたいときって、いったいどんな時でしょうか?
いろんなことが考えられると思いますが、
僕の場合は、“一生懸命に頑張った後”に、だらだらしたくなることが多いです。
もしそうだとしたら、
だらだらしている子どもたちも、何か日々の生活の中で、
“頑張っていること”があるのかもしれません。
“だらだらしているその場面”だけを切り取って考えてみると、頑張っていることはわかりにくいものですが、
でも、
・その日を通じて、
・一週間を通して、
・一か月を通して、
・半年を通して、
「頑張っていることがあるとしたら、それは何だろう?」
切り取る視点をすこしチャンクアップして、その視点から子どもの心を覗いてみると、
その答えに辿つくことがあります。
例えば、
・甘えたいのを、頑張って、我慢している。
・家にいたいのに、頑張って、学校にいっている。
・言いたいことがあるのに、頑張って、黙っている
・食べたいものを、頑張って、我慢している。
・遊びたいのを、頑張って、我慢している。
・どこかに行きたいのに、頑張って、家で過ごしている
などなどです。
特に今年は、コロナという大きな出来事がありました。
・出たくても、出られない。
・行きたくても、行けない。
・したくても、できない。
さらに、そのような状態が一度習慣化されてしまうと、
なかなか抜け出せなくなる。
自転車の漕ぎ始めがすごくしんどいのがそれですね。
そして、
そうした状況の中で当人が感じている“あるある”のが、これです。
・ちゃんと、頑張らないといけないのに、だらだらしてしまう…。
・もっと、頑張らないといけないのに、だらだらしてしまう…。
・「頭」ではわかっているのに、「気持ち」がついていかない…
・「頭」ではわかっていることを、人から言われると、もうそれは……
私のことをわかってくれていない。
私のことを見てくれていない。
私のことを理解してくれていない。
の、負のスパイラル(←不信)
「だらだらしている」
“行動”を見るのではなく、“目的”への共感は、
行動を変える第一歩☆
もちろん自分の気持ちに対してもですね ^^
よっしー。
- 2020.09.21 Monday
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- by ●知田 良博(ちだよしひろ)