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# イソップ童話の経営学 ~オオカミ少年~

※何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。 Your happiness is my pleasure☆


今回は、イソップ童話からの学び 第7弾☆

「 オオカミ少年のおはなし  をテーマに考えてみる事にしました。


またまた、イソップ童話を思い出しながら・・・、


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ある日、 「羊飼いの少年」 が、退屈しのぎに 「オオカミが来たぞ〜」 と嘘をついて騒ぎを起こしました。

大勢の村人たちは騙されて棒をもってやってきましたが、徒労に終わりました。

そして次の日も少年は 「オオカミがやってきたぞ〜」 と叫びました。

村人たちは棒をもってやってきましたが、また徒労に終わりました。

すると少年はまた、 「オオカミがやってきたぞ〜」 と今度は大声で叫びました。

村人たちは、少年がまた嘘をついているのだろうと思い、聞いて聞かぬふりをしていました。

すると、本当にオオカミがやってきたのです。

本当にオオカミがやってきた時には信用せず、誰も救助に行きませんでした。

その為、羊は全てオオカミに食べられてしまったのです

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このお話しは、

「嘘をついたらいけないよ」 「自慢話が過ぎると真実をいっても信じてもらえなくなるよ」

と、言うことが、 “一般的に伝承されている教訓”

でも、もうひとつ大切なことがあることに気付かされます。


それは、 “行動には行動に至る理由がある” と言う事。


それにしても、この羊飼いの少年、

・なぜ、嘘をついたのでしょう?
・なぜ、何度も何度も嘘をついてしまったのでしょう。

上記のように、ウソばかりついていると本当の事を伝えても信じてもらえなくなることは教訓の通りだと思います。

でも、この少年。

もしも・・・、

・寂しくて寂しくて仕方なかったのだとしたらどうでしょう。
・退屈で退屈で仕方なかったのだとしたらどうでしょう。
・楽しみたくて、かまってもらいたくて仕方なかったのだとしたらどうでしょう。

イソップ童話の中で示されているのは、まぎれもなく “一人” で羊の世話をまかされていたのがこの少年。

だとしたら、

・寂しくなるのも分かる気がします。
・退屈になる気も分かる気がします。

いやいや、この少年は、 “羊の世話” をすることに “生きがい”“喜び” を感じているんだから、寂しく感じたり、退屈になるのとはちょっと違うんじゃないのかな・・・、そう思う方も多いのではないかと思います。

でも、思います。

この少年は羊の世話をすることを、もちろん楽しいと感じているでしょうし、自分の課せられた役割である事も感じているでしょう。

でも、

・頑張れていることを評価してもらえていなかったとしたならどうでしょう。
・頑張れていることを誰にも、見てもらえてなかったとしたならどうでしょう。

人の心と言うのは、他者がいて初めて自分自身の心を育めるもの。 そして・・・、
他者から受け入れらていると言う安心感を感じられる事で、自尊の心を育ませてゆくもの。

そう思います。

それらは会社や家庭環境においても同じ様に思えます。
会社での上司と部下の関係のような場合においては、よく安心して仕事を任せられるような人ほど、出来ることが当たり前に思えて、目をかけられないでいたり、褒めてあげる事そのものが疎かになってしまう事ってよくある話。
でも、どんな人でも、どんな立場にあっても、自尊の心を感じられるのは、他者がいる環境、居場所を感じられる環境の中で育まれていくもの。

童話の中で掲げられている教訓のように、ウソをつく行為事態が、良いことなのか悪い事なのか? について考えてみると、ウソをつかれた側の立場の人が、快い感情を抱いていな方としたなら、それは、良くない事のように思えます(ウソをつく当人が悪いことだと思っていなくても・・・。)


でも、 「ウソをついてしまう事 = 悪いこと」

だと、決めつけてしまう事については、余りにも一方向的な考え方のようにも思えます。

なぜなら、

「行動には行動に至る理由がある。」
「ウソをつく行為の裏側には、必ずウソつく“理由”がある。」

そう思えるから。

村人達のように、ウソをつかれる受け手の側の人達が、もし快い感情を抱いていないなら、それは心良いことではないように思えます。

しかし、それが、自分自身の心を育てる為のウソだとしたらどうでしょう。

・人からカッコ良くみられたい・・・。
・人から優しい人だと思われたい・・・。
・人から強い人だと思われたい・・・。
・人から頭がよい人だと思われたい・・・。
・人から仕事ができる人だと思われたい・・・。

そうして、 ちょっと背伸びをしてみること って、ありますよね。


実は、そうした行為も言い変えるなら、ウソの行為に当てはまるように思えます。

人に認められたい、受け入れらたいと思う行為の表れとして形を変えながら自分の心を育てていこうとする為のウソ・・・。

そう思うと、オオカミ少年もまた、人からの受容されたい、認められたい、と想う心の現れであるように思います。



そして、もう一つ、このオオカミ少年のお話から大切な事が気付かされます。

それは、

 “未然の損失や損害防止の為にできる事があったのではないか?”

と言うこと。

この村には、オオカミがやってくることは、既に分かっていた事のように思えます。
例え、分かっていなかったとしても、 オオカミが来る事によって、どうなるのか? との予測は、このオオカミ少年によって気付かされていたように思います。

そう思うと、少年がついたウソも、事前に “大きな損失” を事前に防ぐことのできた行為として評価できる事のように思えます。

オオカミがやって来る事に対して “村を守る為の方法” を事前に考える時間が“存在した” 、と言うことになりますからね。

最近になってようやく日本の企業において、 「事前の損失防止」「事前の損害防止」 の為の体制化が率先して図られるようになって来たように思います。
 「事前に損失を防止する」とは、米国用語でロスプリベンションとも呼ばれているのですが、つまりは、大きな事故や怪我や、損失を未然に防ぐが為の管理体制を強めると言う事で、そのこと自体を部署として設けるところも出始めています。

その場合、大切になる事は、 “未然に・・・” と言う部分。

何が?どういう損失をもたらすであろう?

との判断を担う管理者の視点・能力も必要とされますが、なにより、事態が起こる前にすべき対策を講じておこうということですね。

このイソップ童話の中では、この  “羊飼いの少年”  は、オオカミたちによって食べられてしまいました。

もちろん、羊達も全て食べられてしまいました。


※この少年の、ウソという形で発せられた “心のメッセージ” にもっともっと目を向けられたなら、少年の命・羊たちの命を失うことはなかったでしょう。

※村全体が、羊やそこで働く人達が安心して過ごせる環境整備が整えられていたとしたならばきっと、もっと幸せで楽しく暮らせる未来が訪れていたでしょう。


この「オオカミ少年」の物語が、童話としての話で終わらしてしまうのではなく、今自分自身のおかれている立場や企業で働く一員として、また社会の一員としての視点からみると、まだまだ出来ること、果たすべきことの多くに気付かされます。




PS:イソップ童話をいつも楽しみに読んで下さり、ありがとうございます。何か一つでも心に響く事があったなら、とても嬉しく思います。


今日の気付きでした。(次回は、エリクソンの成人期。)







| comments(0) | trackbacks(0) | 00:43 | category: イソップ童話の心理学 |
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