心の天気図

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# ユング心理学(17)  父親元型と母親元型 Carl Gustav Jung

私のブログにいらして頂いた皆様に感謝です!何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。Your happiness is my pleasure☆


◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?


誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 17。 (このテーマでは久々のblog投稿☆)

“こころと身体の健康つくり”を支援してゆこうとする立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。 そんな時代だからこそ、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して今日は “心” をテーマにしたブログ投稿です。しばしお付き合い頂けると嬉しく思います☆


◎今回のテーマは、

「 母親元型・父親元型 」


人の心の中には、「意識」と「無意識」があることは、これまでの「自分に気付く心理学1~16」の中で掲げてきました。 そして、

「こころ」 というものには・・・、


→本人が自分で解っている部分   = 「意識」 があるのに対して、
→本人にも明確に解っていない部分 = 「無意識」 が存在するもの。



今回はそんな、 「私達が物事に対する感じ方を決める基本」 となっていると言われている



「無意識(潜在意識)
 


その心の中には・・・、



1.アニマ・アニムス
2・母親元型・父親元型
3・ペルソナ
4.投影
5.シャドー
 
 
・・・ 等々があると言われていますね。



今回は、「2.母親元型・父親元型 に触れて考えてみることにします。





◆「母親元型」とは・・・、

男女を問わず、人々のなかにある母親のイメージ。これは現実の世界での異性との関係に強い影響を与えるもの。現代は母親元型にほんろうされたり、心理的な障害に悩んだり、一人前の大人になれない・・・そんな風にいわれている若者が増えています。

実はそれって言うのも、母親元型が影響しているかも・・・?


「母親元型」とは、「包み込んでくれるもの。慈しむもの」と言った私達が感じる “心のぬくもり” や “温かさ” 、そして、自然や風景などを見たり、触れたりする事で、 “癒し” などを感じる感情も、この「母親元型」と呼ばれている “無意識の心” から導かれていると言われています。

特に、「母親」から受ける影響はとても大きくて、その関わり合いの中で「あたたかさとはこのようなものだ!!」とのイメージを心の中に育ませてゆきます。

つまり、この時期にたくさんの“愛情”が必要だとされる所以も、実は、“人の気持ち”や“温かさ”を育む「栄養素」になりえるからdだということなのでしょう。
 
でも、この時期に “愛情” が欠落していたり、母親との信頼関係がうまくなされないままにその心を育くませてしまったなら、大人になってからも、 “人のぬくもり” や “慈しむ心” が欠落して、人の気持ちが分からなかったり、甘えられなかったりするよな場合もあるようです。



また、 “人のぬくもり” や “温かさ” といた心を育ませていく一方で、時にその影響が強くなりすぎてしまうと、 「子供の独占行動」 「束縛行動」 として現れてしまう場合もあるようです。

「家庭内暴力」を起こしてしまったり、反発行動を強めてしまう背景には実は、こうした、「母親元型」の過大。・・・子どもを「過保護」あるいは、「過干渉」によって育ませてしまった心の暴走行為の表れかもしれません・・・。




一方、



◆父親元型とは・・・、

男女を問わず人々のなかにある父親のイメージとよばれているもの。
「無条件」に自分を慈しんでくれるのではなくって、公平で厳正な態度で接し、悪いことをすれば厳しく罰してくる」 そして、「正しい道へ自分を導いてくれようとする」そんな、立派さを示す“無意識なる心“でもあるようです。


人は誰しもが心の中に “憧れ” や “強さ” 、そして “希望” をいう心を持ち合われているもの。そうした想いは父親との関わり合いを通じて導かれゆく心でもあり、それはまた、自分自身にとっての“理想的な父親像”となって重なり合うものなのでしょう。
 





そうした、「母親元型・父親元型」と言うのは、人の「意識」に対して様々な形で働きかけてくるもので、その影響はその人にとってプラスになる場合もありますが、場合によっては、本人の意識とは反して一方的に強く働きかけてくる場合もあるようです。

無意識なる心のメッセージに気付かぬふりをし続けたり、目をそむけながら向き合わずにと閉じ込めてしまったなら、やはり心のバランスが崩れて心の病気へと進行してしまう場合もあるってことですね。



無意識なる心のメッセージにあと少し、目を向け、意識を向けて向き合えたなら、今よりもほんの少し心が楽の持ち方が楽になるかも知れません。
また、そんなこころの悩みにあと少し目を向けられたなら、心的支援の幅も広がりえるのかもしれません。




...今日はそんな、誰しもの心の中に存在する「母親元型・父親元型」について・・・、でした。
 

| comments(0) | trackbacks(0) | 23:27 | category: ユング心理学 Jung |
# ユング心理学(16) 無意識なる心模様 アニマとアニムス Carl Gustav Jung

私のブログにいらして頂いた皆様に感謝です!何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。Your happiness is my pleasure☆


◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?


誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 16。 (このテーマでは久々のblog投稿です)

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。 そんな時代だからこそ、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して今日は“心”をテーマにしたブログ投稿です。
しばしお付き合いください☆



◎今回のテーマは、

「 無意識なる心模様 ~アニマとアニムスについて~ 」



人の心の中には、「意識」と「無意識」があることは、これまでの「自分に気付く心理学1~15」の中で掲げてきました。 そして、

「こころ」 というものには・・・、


→本人が自分で解っている部分   = 「意識」 があるのに対して、
→本人にも明確に解っていない部分 = 「無意識」 が存在するもの。



今回はそんな、 「私達が物事に対する感じ方を決める基本」 となっていると言われている“無意識なる心” について考えてみたいと思います。


人の “感情” として現れていくものの中には、


※笑っている自分・・・、泣いている自分・・・。
※喜んでる自分・・・、悲しんでる自分・・・。
※落ち込んでいる自分・・・、苦しんでいる自分・・・。
※イライラしている自分・・・、ソワソワしてる自分・・・。
※悪口を言ってる自分・・・、自分の事を責めている自分・・・。
※ウソをついている自分・・・、ごまかしている自分・・・。
※幸せを感じている自分・・・、幸せを求めている自分・・・、



様々にありますね。


そのような気持ちは、「自分自信の気持ち」を素直に伝えたり、防衛したり、正当化したり・・・、時には気持ちが抑えられなくなったりした時などにこのような感情として現れやすくなりるもの。
それはまた、「意識」ではわかっていても、「無意識に抱く心」が共感できていなかったり、納得できなかったりするときなどに起こりえる感情であるようにも思えます。

そうした私達、誰しもの心の中に存在する「無意識なる心」を構造的に添えてみると、実は、
下記で示すような“心”が、人々の 「感情」 に影響を与えていると言われているのです。



「代表的な無意識なる心」 っていうのは・・・、



1.アニマ・アニムス
2・母親元型・父親元型
3・ペルソナ
4.投影
5.シャドー 
 
・・・等々



今回は、「1.アニマ・アニムス に触れて考えてみることにします。


私達の心の中には、様々な “感情” がありますが、その中でも特に“異性に対して抱く感情は様々に変化してゆくと言われています。

「人の好みが変化する・・・、」と言う言葉を耳にすることがありますが、この「アニマ・アニムス」という心模様について考えてみると多くの事に気付かされます。


心理学的に見ると・・・、


「アニマ」とは ・・・ 男性が持つ女心。
「アニムス」とは・・・ 女性がもつ男心。



と示されています。



物理的に考えると、男は女ではないし、女は男でもないですね。

しかし、心の世界になるとそれとは別で、誰しもが心の中に “異性の心”を持ち合わせていると言われています。

もう少し分かりやすく言うと、


「意識は女性」なのですが、無意識の中には「男心」を持ち合わせている。
「意識は男性」なのですが、無意識の中には「女心」を持ち合わせている。


と言うこと。


その「男がもつ女心をアニマ」とよび、「女がもつ男ごころの心をアニムス」と呼ぶそうです。


そして、


・どんな男の人でも「女性の好みの像」と言う心を持ち合わせています。
・どんな女の人でも「男性の好みの像」と言う心を持ち合わせています。



一般的に 「男らしさ・・・」「女らしさ・・・」 とい言う言葉が用いられているのも、そのような背景があるのでしょう。

例えば、男の人が涙もろい所や、自信なさげな態度を示してしまったりすると、「男らしくない!!」などと、女性から非難される場合がありますね。
それは、「涙もろい=女性的な性質」というアニマによって作られる一般的なイメージがあるから・・。

反面、活発でやんちゃな女の人に対して「女の子なんだからもっとお上品にしなさい!!」と、男のひとから指摘を受けたりすることもありがちな光景。
これもまた「活発・やんちゃ=男性的な性質」というアニムスによって作られる一般的なイメージがあるから。

つまり、


「男性がもつ女心(アニマ)」とは・・・「感情的・慈悲的・繊細・具体性重視・平穏・美的」
「女性が持つ男心(アニムス」とは・・・「論理的・合理的・大胆・思考・活発・現実的」


そうした、誰しもが持ち合わせている無意識なる心・・・「アニマ・アニムス」は、それぞれに「発達段階」があると言われているのです。




◆「アニマの発達段階」 〜男性の女心は四段階に変化していく〜

ユングの言葉を借りて述べると、アニマ(男の中の女心)は「四段階」に変貌していくと述べられています。そして、男性は、「母親」と初めて出会うことによって、自分のアニマにまず大きな影響を受けていきます。
無意識の中で芽を出す時期でもあり、やがて、成長していく中で 「母親以外の女性」 を見ることで男は、母親から離れて「女性という異性」を受け入れるようになっていくそうです。

そうして、無意識のなかではっきりと形作られていき、「アニマ」はここから“四段階”に変化していくものと言われているのです。



【1】第一段階は、「生物学的アニマ」。
→「子供を産める存在」を、男は無意識の中で求めていく段階です。
女の精神ではなくて“肉体性”が示されるアニマであって、言ってしまえば男にとって「肉欲を満足させてくれるならどんな女性でもかまわない」というレベルのアニマを求める傾向があるようです。この段階のアニマは当然のように“女性の人間性”などは求めないようです。


【2】第二段階は、「ロマンティックなアニマ」。
→「男が自分のパートナーとして求める女性像」を示してゆくとされる段階です。
つまり、女性の“人格”を認め、“恋愛感情”を生み出すアニマを求める段階へと変化していくようです。このレベルのアニマは、純粋で心優しい女性にたとえられて夢などに現れたりするようですが、古典的なおとぎ話のお姫様のイメージに近いもののようです。

【3】第三段階は、「聖なる女性像を示すアニマ」。
“無償の愛”や“無限の慈悲”など、至高の癒しを求めてゆく段階です。そうしたイメージを提供するアニマで「女性として完璧な存在」を、そのたとえの姿として示すようです。
乙女のような清らかさと、母親の温かさを持ち合わせていて肉体的意義というよりも“心の内面的温かさ”に心ひかれてゆく段階であるとも言えます。

【4】第四段階は「叡智のアニマ」。
→この段階になると、老若男女全ての人間を包み込んでくれるような「幸福の女性像」を示す段階です。
この段階のアニマも女性的要素であり、優しさや美しさや温かさを備えています。
母親としての愛情や、男に保護を求めるような弱々しさとというよりも、女性的でありながらも温かさを持ち合わせ、気高く、深遠な知性で包み込んでくれる魅力を求めてゆくようです。


「男性」はこの四段階のアニマを無意識の中に育ませていくと言われています。
そして、その影響を「意識」が受けることによって、現実の女性の中から「自分が求める女性」を得ようとするようです。

しかし、第一段階から第四段階への変貌はきわめて困難な道のりであるとユングは述べています。なぜなら、その為には男が、「自分のアニマと向き合い、理解する」ことが必要であり、それには「自分の無意識の中の認めたくない弱さ」を認めてゆくことも必要とされるようです。

でも、「アニマもアニムス」も、本来は「自分本来の性の心」に足りないものを補うための“無意識なる心”。 なので、自己と向き合い、受け入れ、コントロールしてゆく過程を通じながら、心を育ませなれたなら、その発展に“自己の幸せ”に繋がりえる道が開かれてゆくものなのでしょう。


 



◆「アニムスの発達段階」 〜女性の中の男心は四段階に変化していく〜

アニマに四つの段階があるように、「アニムス(女性の中の男心)」にも“四つの段階”があると述べています。
説明によれは、アニムスは 「力」→「行為」→「言葉」→「意味」 と言うように四つの段階へ変化していくようです。



【1】第一段階は、「力のアニムス」。
→この段階は、男性の“肉体的な強さ”をイメージさせるアニムスに魅力を感じる段階だといわれています。そしてそれは、“たくましさや力強さ”と、いった姿にたとえられて現れていくようです。
この場合、異性の“精神性”はあまり重視されなくて、ただ単に“外見や容姿”など、自分とは異なる存在としての異性に求められるアニムスであるようです。

【2】第二段階は、「行為のアニムス」です。
→この段階は、“勇ましい行動”をする男性像を求める段階だとされています。
これもまた、自分とは相反する“性格”や“行動”の違いに「魅力」を感じる段階であるといわれていて、“自分自身の精神性”は控え、相手の価値観をたたえながら、力強い肉体を駆使して行動を起こすことに魅力を感じる段階であるようです。

【3】第三段階は、「言葉のアニムス」。
→この段階は、肉体性よりも“論理性”や、“合理性”を示し求める段階だと言われています。 “論理性”や“合理性”はアニムスのとても重要な要素となるようです。
この段階のアニムスはこうした要素が全面に出てて、物事の有り様を的確に理解する能力、説明する能力をもとめるアニムスとなり、論理によって物事をシロクロはっきりさせる姿勢に強く喚起されるようです。

【4】第四段階は、「意味のアニムス」です。
→この段階には、物事を単に説明するだけでなくて、そこに秘められた“意味”を示してくれるアニムスを求める段階だとされています。
 “物事の意味”“価値”を与えてくれて、人生の意義や考え方などの気付きを教えてくれるアニムスです。
つまり、“言葉のアニムス”が 「これはこうだ!」 と示すにとどまるのに対して、「意味のアニムス」「これはこういう事だ」と示してくれるもののようです。

このアニムスは、むしろ穏やかな男性像にたとえられて現れるようで、他力でグイグイ引っ張るというより、他者に精神的な喜びや満足を与える事で人々から慕われるような男性像を示しているようです。




・・・「アニマもアニムス」も、本来は「自分本来の性の心」に足りないものを補うための“無意識なる心”。

なので、それと向き合い、受け入れ、コントロールするしてゆく過程を通じながら、人は更に豊かさを備えた心を育ませ、その発展に自己の幸せに繋がりえる道が開かれてゆくものなのでしょう。


 

今日の気付きでした。


・・・多くの事に気付かされます。

| comments(0) | trackbacks(0) | 01:43 | category: ユング心理学 Jung |
# ユング心理学(15) 自我と自己の違い(幸せ感の根源) Carl Gustav Jung


※何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。Your happiness is my pleasure☆

◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?


誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 15

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。豊かな時代であるがゆえ、ものでは満足できず、人々の心はまた、自分自身の内面的豊かさを求め始めています。そんな事を考えながら、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して引き続き“こころ”をテーマにしたブログ投稿です☆



今回のテーマは、

 「自我と自己の違い ~幸せ感の根源~



ついて考えてみることにしました。

人の心は「意識の心」と、「無意識の心」が合わさって “一つの完成した心” になり得ることは、多くの心理学者が述べています。

ユングの心理学的的視点から心の構造を深めて考えてみると、



※“意識” = 「自我」
※“意識と無意識”が合わさったもの = 「自己」



そう定義付けられています。

つまり、


「自我」が、“意識の領域”だけを支えているのに対して、
「自己」は、“意識と無意識の領域”全てを支えていると言うことになりますね。



つまり、“心の全体の事を自己” と呼び、心の中心と呼べるかも知れません。


“人の心の満足感”と言うのは、“意識”と“無意識”のどちらか一方だけが満たされて満足できるものではなく、


「自我(意識)」の安定だけでは、本当の意味での“心の安定”にはなりえないという事。


「自己(意識と無意識)の安定」こそが、人の心に満足感や、究極の安定と言うものを与えてくれるもの。


前回にも掲げさせて頂いたのですが、無意識の心に存在するコンプレックスや投影などの自身の心のメッセージに目を向け、その“気付き”を受け止めながら、普段から「自己」と向き合っている人は、不安や、心の病からも解放されて、心の充足感や穏やかさを得ることができると言われています。


「自我」 
→自分は自分であるという気持ちを支える「意識の中心」
→自我は意識の領域だけを支えている。

「自己」 
→無意識と意識を合わせて完成した「心そのもの」
→自己は、意識と無意識の心全体を支えている。


世の中には、多くの富を築き、何不自由ない生活を送っているように見えても、なんとなく心が満たされない人がいたりします。

「本当の幸せとは何か?」などのをテーマにしながらTV番組が放映されたり、映画化されたりします。こうした番組をみたり聞いたりすると、実は、先に掲げたような内面的心の豊かさを得ることが自己の成長に繋がりえる事を感じてしまう事があります。


自分でも分からないのになぜか、

・心落ち着かなかったり・・・、。
・イライラしてみたり・・・、
・人の目が気になったり・・・、
・なぜか満たされない気持ちでいたり・・・、
・癒しを求めていたり・・・、


また、仕事で成果を残しても、金銭的に満たされていても、社会的に評価されたとしても、心のどこかに、満たされない心を感じている人がいたりします。


※こうした気持ちを感じている人は、きっと、“意識の領域”だけで答えを出してきたり、「こうあるべき・・・」「こうしべきもの」だと、無意識の求めている心を目を向けないで無理に言い聞かせてきたからなのかもしれません。

※こうした気持ちを感じている人は、自分自信の内面(無意識なる心)の部分が求めてきた心に目を向けないで、あるいは、向き合おうぜずに歩んできた為に、いつの間にかどこか満たされない心を残してしまうのかもしれせん。


人は、成長する過程で必ず、意識とは反する“無意識なる心”の存在に出会います。


そして、その心は、本来、“意識している自分自身の心(自我)”、“無意識なる心”とが、それぞれに足りない部分を補い、バランスを保ちながら心を育ませていくもの。



「私はこうあるべき・・・」
「私は、立派な人間である為にこうすべき・・・」
「今までこうだったから、これからもこうしなければならない・・・」



そしてそれは、自分の本来求めている心を抑制して、周りの環境に合わせ過ぎてしまう場合も同じ。


そのように、本来自分の求める心に反して、無理に“意識(自我)”を言い聞かせれば言い聞かせるほど、心に無理が生じていく。
「自我」で支えられないほどに、その心が大きくなってしまうと、もう、それを受け止める事すらできなくなり、克服したいと思う意欲や気持ちすら奪い取ってしまうこともあるのです。


(昨今引き起こされている子ども達が不幸の事件の主人公になりえる事象も、実はそうしたストレス社会が生み出した産物かもしれません。)


つまり、自分の内なる心に気付き、向きあうことそのものが、心の成長、心の発展への可能性を導くものとなるのでしょう。



そうしながら、人は心を成長させ、また一歩成長した自己へと映り変へていく。




「自己」が求める生き方ができて初めて、心の満足感・幸せ感を得ることができのかもしれませんね。

| comments(3) | trackbacks(0) | 01:46 | category: ユング心理学 Jung |
# ユング心理学(14) 親と子の関わり方あれこれ  Carl Gustav Jung

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※何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。Your happiness is my pleasure☆


◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?


誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 14

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。豊かな時代であるがゆえ、ものでは満足できず、人々の心はまた、自分自身の内面的豊かさを求め始めています。そんな事を考えながら、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して引き続き“こころ”をテーマにしたブログ投稿です☆



今回のテーマは、

 「親と子の関わり方あれこれ☆」



人の心は、生まれてから、様々な人と出会い、関わり会い、学校生活や社会生活をなどの関わりの中で経験を積み重ね、自分の「こころ」を育てていきます。

◆「楽しいい事」「嬉しい事」 を心を育てる栄養源にしながら、その人の心を成長させていきます。
◆「辛いこと」「悲しい事」「腹立たしい事」 など全てを自信の成長の糧としながら心を育てていきます。

それと同じくして、「コンプレックスの要因」もまた、人と人との出会い、関わり合いを通じて育まれていきます。

それが辛く、苦しく、自分の心で受け止めたくないと感じてしまうような出来事であればある程、どんどん「無意識」の心の中に育まれ、時に暴走してしまう事があるのです。


“心の暴走”を 感じさせる事件として、

※2010年7月30日、大阪市西区のマンションで幼い男児と女児の2遺体が発見され、同日、行方がわからなくなっていた23歳の母親が死体遺棄容疑で逮捕された事件がありました。


※2010年8月末、広島県福山市で、家族の119番通報で心肺停止状態のまま搬送された2歳の女児が病院で死亡し、母親が県警の任意聴取に対して「日常的に暴行を繰り返していた」と話していることが伝えられました。


こうした事件を見る度に、心が痛くなります。


子どもたちが “不幸の事件の主人公” になる事件を聞く度に、事件を引き起こしたその子どもの母親や父親の経てきた環境、育まれてきた関係性など、「意識」や「理性」で言い聞かせられる範疇を超えた「無意識」なる心の暴走行為としての事件性の発展を感じてなりません。

子どもの心が育まれて行く中においては、親との関係性によって、子供に無意識にコンプレックスを植え付けてしまっているような場合が少なくありません。

親は子供に、「こうあってほしい・・・」とか、「こうあるべきだ・・・」といった、理想の像をもち、それを伝えようとします。

“理想”を伝えることは、期待を持つことの表れであり、その子育ての在り方もそれぞれ。
なので、子育ての在り方が、正しいいとか、間違っていると言った判断はできません。

しかし、一方的に親としての期待が、実は、受け手の子どもの側にしてみれば、「言葉の暴力」として受け止められている事が随分多くあることに気付かされます。

※「こうしなければならない・・・」
※「こうなってもらいたい・・・」

時に、その期待に添えられないような時には、「手をあげる・・・」といった体罰に近い形で伝えようとする光景を見ることがあります。

その場合、親の側からすれば、 “愛情”“しつけ”だとの「価値観」をもって伝えようとしてしまうことも多くあるのですが、実は子どもの側にとっては“暴力”の他何者でもない。そう思える事もあります。


以前、こんな相談を受けたことがありました。



「うちの子は、遊んでばかりでまったく勉強しない・・・。なので、しっかり言い聞かせてやってもらいたい・・・」 


よく聞く話ですね。



話をお伺いすると、そのお母さん自信、幼き頃よりやりたい事、遊びたい事を“我慢”し、親の言われるまま素直に言うことを聞いて勉強してきたと言う。
そして、「私自信がそういう教育を受けてきたのだから、子どもに対してもそのように子育てすることは当たり前で、それが教育の在り方、しつけの在り方」だとおっしゃられていました。


母親自身が、辛い経験を“実体験”しているにも関わらずに、その経験を自分の子どもにさせようとしている事に全く気付いていない・・・のです。

そして、「子どもの側の気持ち」に立ったしつけの在り方とは大きくかけ離れてしまっているようにも思えました。

その子は、当時私が担当していた子で、野外の活動を中心にしている教室にきてくれていました。
その子の「行動」はと言うと、それはそれは、周りの子どもたちに迷惑をかけるほどのやんちゃぶりでした。
ひどい時には、のこぎりを振り回し、金槌を振り回し・・・。そうして周りの子供を泣かせてしまうこともしばしば・・・。どうみても何かしらの“ストレス”をため込んでいるようにみえたのです。

どこからこうした「行動」が引き起こされているのか?という事の理解に苦しみました。


しかし、母親のそうした話を受けてはじめて、子どもの行動の背景にはある事実を知りました。
家庭における母親からの「愛情」、あるいは、「期待」が、子どもにとっては“抑圧”を言う形で、「無意識」の心の中に深く育まれていく場合がある。上記の2例の事件のように・・。

日々の抑えきれぬ心の発散の哀れが、こうした、「のこぎりをふりまわす・・・」といった行動として現れていたのではないかとも思えました。


その後、出来るだけその“抑圧された心”を発散させてあげたい・・・、そう思い、その子との関わり合いが始まりました。


そして、
あれから何年たったのでしょうか?


今、その子どもは親の定められた道を行くのではなく、人と同じ道を進むでもなく、自らの意思でしっかりと進路を選択し、中学生にして既に親元を離れた自立生活を送っているのです。

こうして振り返ってみると、上記の子も、実は事件性にまでは発展はしていないのですが、多分にその要素を持ち合わせていたように思います。

プールに来てくれる子ども達の中には、アスペルガー症候群やADHD・多動などの認定を受けた子どもたちがたくさんいます。(例年増え続けている・・・。それからも増え続けてゆくでしょう。)


中には“遺伝”と言う形によって、知的に障害を持つことを避けられない子どもだっているでしょう。


しかし、経てして、「親との関係・環境」が、子ども達自信を“不幸の事件の主人公”として、その心を育ませてしまう場合もあるように感じてなりません。



親の存在と言うのは、子どもにとって「もっとも身近で、関わりの深い存在。」

ですから、親の理想を伝えようとすることは、当然な事だと思います。

でも、その伝え方によってそれは、「愛情」にもなり、「コンプレックス」にもなりえると言う事を、認識しておくのとおかないのとでは随分と、心の発達に与える影響も千差万別の形として現れてゆくものではないかと思えます。

そして、



「コンプレックス」は、ある種の「抑圧」が原因となることがほとんど。


子ども当人にとって、

※「本当はこうしたかった・・・」
※「こうありたかった・・・」 と、素直に自分の気持ちが言えなかったり、
※「周囲の目を気にしたり、気使う余りに本当の気持ちが言えなかったり」 して、

“抑圧”され続けると、実はその心は、無意識の心の中に“本人も気付かぬ心のストレス”と言う形で増幅してしまう場合もあるのです。


そして、その心が大きくなりすぎると「意識から離れたこだわり」や、「暴走」という形で現れてしまう・・・。

子どもたちにとっての興味はそれぞれ、
勉強が好きで好きでたまらなかった人は、「私は勉強する事を強要しようとします」
でも、親が勉強が大好きだからといって、子どもが勉強が大好きかどうかは全くの別問題。


興味が別のところにある事が多分にしてあるのではないかと思います。


そうした「抑圧」は、子ども時代に親から受ける場合がほとんどだとい言われていますが、肝心の“親の側”には、子ども心にコンプレックスとなる要因を作っているといった自覚はないことがほとんど・・・。


子供と接しているうちについつい子供の「こうしたい」「こうありたい」といった気持ちに反した“価値観”を押しつけてしまっている場合もあり、知らず知らずにうちに、子ども心に「コンプレックス」となって現れて行く場合があるのです。 



やんちゃ、おてんば過ぎるくらいがちょうどいい☆

明日も、プールが“心の発散の場”として楽しんでもらえるよう、向き合っていたいと思います。


今日の気付きでした☆

 

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# ユング心理学(13) コンプレックスと向き合う方法  Carl Gustav Jung

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今回のテーマは、 「コンプレックスと向き合う方法☆


前回は、心理学的な視点からみた「コンプレックスがもたらす心模様」について考えてみました。

コンプレックスとは、

「意識のコントロールから外れた感情」。
「無意識のなかのこだわり」。


“コンプレックスの原因”は、本人が、

※「思い出したくない!」とか、
※「知りたくない!」
※「考えたくない!」
※「意識の中で自覚したくない!」


そう、思えるような辛い体験の上に成り立ってゆくもの・・・。

なので、向き合おうとしても、自分の心が自覚することにブレーキをかけてしまう場合がとても多いもの。

しかし、この“コンプレックス”。

見て見ぬふりをして放っておいたり、受け止めることから避けて通りつづけたなら、心の病にまで発展してしまう場合があるのです。

コンプレックススは、その人の歩んできた“体験や経験”によって長い年月を欠けて育まれてきたものなので、それを消し去ってしまう事はできません。

余りに辛い過去から、解放されたいと思う余りに、逃げて通る道ももちろんあるでしょう。

しかしその道は一見 “楽な道” に思えるかもしれませんが、また同じ事が繰り返されてしまう。

もし、消し去るほどの強い心、が別に存在できたならそれも可能なのかも知れませんが、


「消し去る事」 = 「その人の人生を否定すること」


つまり、“自分自信を否定する心”を育てしまう恐れがあるため、あまり有効な在り方ではないと言えます。

なぜなら、コンプレックスもまた、“自分自信の心”なのだから・・・、

そうではなく、コンプレックスを克服して行こうと思うなら、自分のこだわりがどのような“感情や行動”として現れてしまうのかと言うことを“自覚”し、それを「意識」の中に受け入れることが大切だと思えます。

自分自身で自覚することが困難な場合には、第3者の言葉を借りて伝えてもらうこともいいかもしれませんね。ただ、その場合、人の意見を意見として受け入れるスタンスでいる事が前提になければなりませんが・・・。

そのように、

※「私はこんなことにこだわってしまう人なんだ!!」
※「私は、こだわりは〜だったんだ!!」


ということを、一度、自分自身の気持ちの中で受け止め、理解し、その上で「しょうがないなぁ!」と、ある時は妥協してみたり・・・、

また、ある時は、自分の気持ちの中で受け止めた後で、「私は今〜にこだわっているっ!」、「でも、今回はもう少しこのコンプレックスにこだわってみよう!!」って、意識の力を借りて、理性的判断を貫くことが必要だと言う事ですね。

こだわりがある自分の心を認めようとせずに覆い隠そうとしてしまっては、せっかくの“自己の成長機会”を妨げてしまうことにも繋がってしまう場合もあるのです。


※コンプレックスは、誰にでも持ち合わせている心。
※コンプレックスは、その人にしかない“魅力”を育めるもの。
※コンプレックスは、その人のエネルギーを高める原動力にもなるもの。



◆ある人にとって、「 ○○○ が苦手」「 ○○○ が嫌い」と思えば、嫌いないなものから遠ざかるように人生(人格)を形成していくでしょう。

ある人にとって、「 ○○○ が好き」と思えば、その好きなものを求めて人生(人格)を形成していくでしょう。


「コンプレックス」は、その原因となった出来事を当人が忘れ去ったと思っていても、それが真の意味で解消されない限りは、無意識の内側から、知らず知らず当人の行動や考え方に影響を及ぼし、その人生さえも変えていくものなのです。


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【コンプレックスの簡単克服法 3-Step】 (勝手に考えてみた・・・。)

,覆鵑、こだわってるなって思うことがあれば、自分の心に聞いてみる
  もし分からない場合は、第3者に聞いてみる。(でも簡単には見つからないもの)

△覆鵑任海世錣辰討い襪里に気付いたら、一度向き合ってみる
 (辛い、知りたくない、思い出したくない、って思ったとしても思いきって向き合ってみる)
 (消し去ってはだめだよ)

「自覚し、意識の中に受け入れてみる」

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コンプレックスとは ・・・、

「意識のコントロールから外れた感情」  「無意識のなかのこだわり」

つまりそれは、

自分自身の “自我の主体性(自分自身の) を脅かすものでもあると言うことですね。



※自分自信の心の中の、ちょっとしたこだわりの部分の存在に歩みよって見ると、心の持ち方がほんの少し楽になるかもしれません。

※自分以外の人達の“無意識なるこだわり”の部分に、少し目を向け、歩み寄ってみると、人との関わり方が少し楽になるかもしれません。


「自信の気付きが、他者の気付きとなり、
 自信の他者に対する気付きが、他者の心の育みに繋がりえる糧となる。」


勝手に名言してみた。( って、全然名言になってないか ・・・。)


毎日を明るく、元気よく、積極的に歩いて行く為には、“自分自身の心に向き合う強さ”も求めらるものなのでしょう。



次回は、 「自我と自己の違い(幸せ感の根源)」について考えてみたいと思います☆

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# ユング心理学(12) コンプレックスがもたらす心模様  Carl Gustav Jung

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今回のテーマは、 「コンプレックスがもたらす心模様


前回Part.11では、心理学的な視点からみた「コンプレックス」について考えてみました。

コンプレックスとは、
「意識のコントロールから外れた感情」。

つまり、
「無意識のなかのこだわり」。

その「コンプレックス」=(無意識のこだわり)は、普段、周囲の人たちから見れば「個性」「考え方」などといった言葉で用いられ、受け止められることがありますね。

でも、時に、このコンプレックス。

その人の“理性的な行動”を妨害してしまう事があるのです。

人の心は、幼少期の事から、さまざまな体験や経験や人との関係を経て育まれていきます。

楽しさも、嬉しさや、悲しみや、怒りや、苦しみを感じる葛藤全てを、心を育てる栄養源にしながら、その人の心を成長させていきます。

しかし、それと同じくして時に、“自分では受け止めたくないと感じてしまう気持ち”“不快だと感じる気持ち”“上手く受け止めることができない”心を強く心の中に押し込めたまま育ててしまう場合があり、時に、その心が大きくなりすぎると、“暴走”してしまう事もしばしば・・・。

※例えば、


◆親切心で声をかけてくれる友人に向かって、気持ちが解っているのにひどく怒鳴りつけてしまったり・・・。
◆迷惑をかけている事に気付いているのに、八つ当たりをしてみたり・・・。
◆“意識”の中ではきちんと判断をしようとしているのに、それに納得できない感情が現れ理性を狂わせてしまう・・・。


それらも実は、無意識のコンプレックスが示す「行動」だと言えるのです。

そして、その行動は、自分でもよく分からない事の方が多い。

そうした「自分でもよく分からない行動」とうのは、実は、幼き頃より育まれてきた「意識のコントールから外れた感情」が、時に、そのような「行動」や「感情」として表に現れてしまう場合があるのです。

「コンプレックス」と言うのは、人と同じ形で限定されるものではありまん。

その人、その人によって、育ってきた環境も違うし、受けてきた教育も違う・・・、なので、「無意識」の中で育まれててきたコンプレックスもまた、その人の経てきた体験によって様々な形で心として存在するもの。


だから、
人とぶつかり合うことは当然なことで、当たり前な事。


これは私事で、いささか恥ずかしい話なのですが、中学生を卒業する頃まで、人は皆、自分と同じ考え方をしてる、って思ってました(笑)。

なので、「なんで俺の気持ちが分かってくれないんだ〜!!」、「自分がそう思うなら、相手もそう思うだろう・・・、」って感手に思いこんで悩んでいた事もたくさんありました。

まぁ、今でもそう思うことはありますが・・・(笑)。

でも、今思えば、それはごくごく自然であたり前な事。

なぜって?

それは、それぞれ経てきた環境が違うから・・・。

仕事や学校、家庭などを通じて人と関わり合う中で、意見がぶつかり合うって事よくありますね。

でも、実は、

「人の意見を分からせよう!」なんて事はとても難しいことで、それよりもむしろ、「相手がどのように理解しているのか?」って事を考える事の方がとても大切なことなのだと実感しています。

「命令」「暴力」を使って分からせる事も出来ますが、それは本当の意味で、分かりあえる事にはならないですからね。

ただ、その人の育んできた“しきたりや地域性”、強いては、日本社会が育んできた文化的・社会的に築いてきた“男尊女卑的思想”など、人によって自明だと感じる心も様々。
なので、なかなかそうした視点をもって、人と関わりあえる人も少数派だと感じてしまうこともしばしば・・・。

ますます社会は変化していくことでしょう。


話を戻します。


人と人との心が大きくぶつかり会う時と言うのは、コンプレックスを受け入れられていない状態の者同士で引き起こされてしまう場合があることに気付かされます。
自分自身の“無意識なるこだわり行動”は、本人には気付いていないことの方が多く、そんな“心と心”がぶつかり合うと、相手の心を高めあう所か、自分自身や相手に対して、非難する心や、不信につながる心へと発展させてしまう場合があるのです。

そうした、
誰もが皆、心の中で持つ「コンプレックス」

意識しないままに育まれている事の方が多く、簡単に見出すこ事はできないものでもあるのです。

“コンプレックスの原因”と言うのは、本人が、

※「思い出したくない!」 とか、

※「知りたくない!」
※「考えたくない!」
※「意識の中で自覚したくない!」 
と、

そう思えるような辛い体験や、自分自身の納得感の持てない状況の中で抑圧されて育まれてきたもの。

ですので、向き合おうとしても、自分の心が自覚することに“ブレーキ”をかけてしまう場合がとても多いのです。

また、このコンプレックスを見て見ぬふりをして放っておいたり、受け止めようとしなければ、心の病にまで発展してしまう場合があるのです。



人の心は、人によってそれぞれ。


それと同じように、



コンプレックスもまた、人によってそれぞれ。


ですので、人とぶつかり合うこともたくさんあるけれど、それと同じ分だけ、“共感し合える事”もたくさんあるように思います。




※自分自信の心の中の、ちょっとしたこだわりの部分の存在に歩みよって見ると、心の持ち方がほんの少し楽になるかもしれません。

※自分以外の人達の“無意識なるこだわり”の部分に、少し目を向け、歩み寄ってみると、人との関わり方が少し楽になるかもしれません。


次回は、 「コンプレックスとの向き合い方」について考えてみたいと思います☆。

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# ユング心理学(11) コンプレックスについて  Carl Gustav Jung

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◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?



誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その
Part 11

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。豊かな時代であるがゆえ、ものでは満足できず、人々の心はまた、自分自身の内面的豊かさを求め始めています。そんな事を考えながら、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して引き続き“こころ”をテーマにしたブログ投稿です☆


今回のテーマは、 「コンプレックスについて



「コンプレックス」と言う言葉をよく耳にします。

コンプレックスと聞くと何を思い浮かべるでしょうか?


●人よりも走るのが遅い・・・。
●人より仕事ができない・・・。
●人前で話すのが苦手・・・。
●数学が出来ない・・・。
●人よりも不器用・・・。
●人よりも○○○することがも苦手・・・。 
 などなど、



「人よりも劣っていると感じてしまう部分」や、「人に触れられたくない・・・、」「人に知られると恥ずかしい・・・」 そう感じてしまう事って誰にでもあるのではないかと思います。

もちろんそれらは、走るのが遅い、運動が苦手、人よりも背が低い・・・、といった“身体的側面”においてそう感じることもあれば、
人と関わり合う事が苦手、人みしりが激しくて・・・と言った“内的側面”からそのような感情を抱いてしまう人も多いのではないかと思います。


そうした、「人よりも劣っていると感じてしまう部分」や、人に触れられたくない・・・、」「人に知られると恥ずかしい・・・」 そうした“劣等感を感じる気持ち”の事を、一般的には「コンプレックス」と認識されています。

しかし、実はそれだけでなく、心理学的には別の意味で添えられているのです。

この「コンプレックス」。

本来の意味は・・・、


「意識のコントロールから外れた感情」。

つまり、

「無意識の中のこだわり」 の事を示しているのです。


人の心は、人との関わり合いを通じて育まれていきます。

生まれてから様々な場面で、


●楽しいと感じたり、
●嬉しいと感じたり、
●悲しいと感じたり・・・、
●怒りを感じたり・・・、
●苦しみを感じたり・・・、


そうした経験を経ながら心を育み生きています。

つまり、楽しさも、嬉しさも、悲しみも、怒りも、苦しみも、その全てが心を育てる栄養源になっているって事。

辛いしい事があるから、楽しいと感じられ、 楽しいから、また、苦しい事が心で感じられる。

世の中楽しいことだらけなら、その楽しさは楽しさでなくなってしまいますからね。

人は、自分なりの考え方や思考・感情を人との関係の中から育み、“無意識”の心の中に記憶させていきます。そして、 “無意識の心”で育まれた記憶が“意識”に反映されて、行動や考え方などに繋がり、その心をまた成長させていくのです。


「コンプレックス」とは、“無意識の中のこだわり”



◎では具体的にどう言った状態を示すのでしょうか?


例えば、下記のよう場合は「コンプレックス」がもたらす行動の現れだと言えます。


※「なぜか、理由は分からないんだけど、妙にこだわってしまう事がある・・・。」
※「なぜか、理由は分からないんだけど、感情的になってしまう・・・。」
※「人と比べるとそんなに劣っているわけでもないのに、なぜか気になってしまう・・・。」
※「ある場所にあるものがなければ、心落ち着かない・・・。」
※「なぜか、恐怖心を感じてしまうことがある・・・。」
  などなど、

       
もう少し具体的に例えるなら、

「太っている事にどうしてもこだわってしまうような場合」 もこれに当てはまりますね。

(かなり極端な例ですが・・・。)

周りと比べて明らかに身体が大きく、お医者さんなどから肥満などの注意を受けているような場合には、当人の“意識”の中でその「理由」が確認できていのでそれらに当てはまりません。

そうではなくて、

周りから見たら全然気にするほどではないのに、当人はとにかく気になって、気になってしょうがない場合・・・。
「どうしてそんなに気になるの?」と、周囲の人から問われても、きちんとした理由がなく、まともな返事が出来なかったりするケースなどがそれらに当てはまります。

理性的・客観的に判断すればなんでもないことなのに、なぜか気になってしまうような事・・・。

例えば、

自分の身に着けているものや、普段自分が利用しているもの、色・形・大きさ・デザイン・行動・・などなど、身の回りにあるものなど、ちょっとした“こだわり”・・・。

それって、誰にでもありますね。

そうした、人からすれば何でもないのに、無意識になぜかこだわってしまうような事も、一種のコンプレックスだと言えます。

そうした 
“無意識が映し出す“こだわり”。

この“こだわり”に対して、あまり何度も周囲の人に言われたりすると、「とにかくイヤだから・・・!」と、理由が説明できない自分に感情的になって、会話にならなかったりすることも多くあるように思えます。

コンプレックスとは、言ってみれば 
「意識のコントロールから外れた感情」。

つまり、 
「無意識の中のこだわり」。


この「こだわり」は、いわゆる“好きや嫌い”とも異なって、自分の心だけがどうしてもこだわってしまうことを指しています。

つまり、それらのこだわりが、心理学的に「コンプレックス」だと言われているのです。


※一般的には“劣等感コンプレックス”の事を、「コンプレックス」だという呼び名で用いられていますね。

でも、実は、コンプレックスとは「無意識なるこだわり」の事を示しているのであって、「人と比べて劣っている」、とか、「恥ずかしい・・・」など、自分自身が「意識」の中で感じられる事実の事を“劣等感コンプレックス”と言う呼び名で用いられているのです。
(自分の「意識」の中で、“好き”とか“嫌い”と言った「理由」がはっきりとなされていて、それと比べて劣等感を感じる心の事を、実は“劣等感コンプレックス”と呼ばれているのです。)


「コンプレックス」だれしもが持つ、無意識なる心。



※自分自信の心の中の、ちょっとしたこだわりの部分の存在に歩みよって見ると、心の持ち方がほんの少し楽になるかもしれません。

※自分以外の人達の“無意識なるこだわり”の部分に、少し目を向け、歩み寄ってみると、人との関わり方が少し楽になるかもしれません。


次回は、「コンプレックスがもたらす心模様」について考えてみたいと思います。

(コンプレックスに関するBlog投稿、まだまだ続きます☆)

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# ユング心理学(10) 内向的・外交的な心模様.2  Carl Gustav Jung

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◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?



誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その
Part 10

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。


特にこれからの時代は“心の時代”。豊かな時代であるがゆえ、ものでは満足できず、人々の心はまた、自分自身の内面的豊かさを求め始めています。そんな事を考えながら、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して引き続き“こころ”をテーマにしたブログ投稿です☆


前回、心の中に存在する「意識の部分」が感じる心模様について「外向的な心」「内向的な心」の二つの視点から考えて見ました。

今回は、その続き・・・。

この「内向的な部分」「外向的な部分」は、誰しもが持ち合われている心。

なので、その心は、出会う人、関わりあう人、その場所・その環境によって、内向的な部分や外向的な部分の心模様は変容してゆくもの・・・。

そして、この双方の心は、普段の冷静な状況下においては、両方が一度に出てくる事はなく、どちらか一方が「意識」として表に出ていて、もう一方が、「無意識の心」として隠れています。



◆普段、外向的な部分が強い人・・・、

・何かしらの出来事に遭遇しても躊躇することなく対応できたり・・・。
・周囲の目を気にすることなく人の輪の中にとけ込めたり、会話に参加できたり・・・。

する人は、「内向的な部分」を無意識の心の中に持ち合わせているということになります。

また、


◆普段、内向的な部分の強い人・・・、

・何かしらの出来事に遭遇した時に「イヤだなぁ・・・」と感じてみたり・・・。
・初めて出会ったばかりの初対面の時には、「自分から話し出すことが苦手・・・」 

とする人は、「外向的な部分」を無意識の中に持ち合わせていると言うことになります。



◎あなたは普段、どちらの部分が強く表に出ていますか?


普段の生活の中で強く表に出ている方が、その人にとっての“習慣化されている意識”であると言えます。

先にも掲げましたが、「外向的な心」や「内向的な心」と言うのは、出会う人、関わりあう人、職場や、あなたを取り巻く環境によって、その心模様も変容してゆきます。

つまり“習慣化”されているが故に、“習慣化されている意識”は変えられるという事にもなりますね。

そして、自分の“無意識なる心”に嘘偽りなく、自分の心に素直にあっていればいるほど、「内面の充足感」が得られやすく、また、自分の信ずる道に迷いなく歩いてゆけると言うことにもなります。



◎でも、今の現実が、自分自身の心にあっているかどうか?


と言うことは、気付かない人の方がはるかに多い・・・、 そう感じる事があります。

それはきっと、


◆これまで培ってきた経験や、知識や、立場が邪魔をして、本来自分の安心できる心姿に向き合うことを出来なくさせているからなのでしょう。

◆自分自身にとって認めたくない心や、弱さを感じてしまう心、また、認めるにはあまりにも辛いと感じる部分への介入を意識が認めない為に遠ざけてしまうからなのでしょう。

◆今の環境を変えるにはあまりにもリスクが大きかったり、自我を受け入れるにはあまりにも大きな壁を乗り越えなければならないからなのでしょう。



でも、「表」に出ている心があまりにも過度に出すぎてしまったり、自分の心を装って無理をしている状態が続いてしまうと、心の奥に潜んでいた「無意識」の態度が無理な状態を補おうとして表面に出てきてしまう場合があるのです。

・普段、内向的でおとなしい人が、お酒を飲むと急に性格が変わったように賑やかに楽しげになったり・・・、
・普段、外向的に立ち振るまっている人が、一人になると一人ふさぎ込んでしまったり・・・。

実はそのような状態も、人が変わったと言うよりもむしろ、態度が入れ替わった状態。

つまり、その人の心がその人の心で在り続けられるように、“バランス”をとろうとしている状態だと言えるのです。

また、無理に“周囲の環境”や”外の環境”に合わせようとしすぎてしまうと、心が暴走してしまう場合もあるのです。

例えば、外向的過ぎる人が、更に周りの気を引きつけようとして過剰なサービス精神で人を楽しませようとしたり、社交的に振る舞いすぎると、内向的な心の部分が動き出して、空想の中に入り込んでしまって、周りが付いていけなくなってしまったり身勝手に見えたりてししまいます。

又、内向的過ぎる人が、自分の世界に閉じこもってしまうと、心の中の外向性の部分が動き出して、かえって周囲の目が気になってしまったり、イライラしてしまってこころが疲れ切ってしまう場合があるのです。



◎大切なのは、その“習慣化されている意識”が、自分の心にあっているかどうか?


と言うことで、


◎あなたは、何をしている時に、精神的安らぎをかんじますか?

◎あなたは、誰といる時に、こころにやすらぎを感じますか?



自分自信の心の中の、「外向的な部分」と、「内向的な部分」の存在に歩みよって見ると、少し心の持ち方が楽になるかもしれません。


次回は、タイプ論を参考にしながら、心の持ち方を考えてみたいと思います。

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# ユング心理学(9) 内向的・外交的な心模様  Carl Gustav Jung

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◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?



誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 9。

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと思えます。
特にこれからの時代は“心の時代”。豊かな時代であるがゆえ、ものでは満足できず、人々の心はまた、自分自身の内面的豊かさを求め始めています。そんな事を考えながら、自身の内面への気付きが、お客様の不安解消を後押しできうることを期待して引き続き“こころ”をテーマにしたブログ投稿です☆


今回は、意識の中の“外向的”“内向的”こころ模様 について考えてみることにしました。


◎普段、人と関わり合う中でこんな言葉が飛び交う事はないでしょうか?


※あのお客様は「外交的な人」だなぁ?
※あのお客様は「内向的な人」だなぁ?



実は、この 「ヽ宛的な心」「内向的な心」 と言うのもまた、誰しもが持ち合わせている心。

もし、


・「気の合わない人がいる」
・「好きになれない人がいる」



そう思う人がいたなら続きを読んでもらいたいと思います。

「外向的」「内向的」という表現は、お客様と関わりあうような職場や、同僚や友人との関わり合いの中でも一般的に用いられていますね。

実は、この「内向的」「外向的」という表現は、心の中に存在する「意識の部分」を大きく二つに分けて用いられた言葉。

例えば、こんな事ありますね。

(A)何かしらの出来事に遭遇した時に「イヤだなぁ・・・」と感じてみたり・・・。
(A)初めて出会ったばかりの初対面の時には、「自分から話し出すことが苦手で・・・」 
と、

その「出来事」を拒否するように身構えてみたり、相手の雰囲気や様子を伺いながら行動してしまう場合。

また、反対に、

(B)何かしらの出来事に遭遇しても躊躇することなく対応できたり・・・。
(B)周囲の目を気にすることなく人の輪の中に溶け込めたり、会話に参加できたり・・・。
 と、

その「出来事」を拒否することなく、積極的に行動してしまうような場合。

前者の人は「客体」・・・つまり、出来事や他人に対して消極的な関係をもつ「内向的態度」であると言え、後者の人は積極的な関係を「外向的な態度」をもつと言えます。


「‘盡的なタイプ」の場合は、どちらかと言うと、外の世界(外社会など)よりも「自分のこころの世界」にまず関心や興味が向かう傾向があると言えます。 つまり、

自分の周りでできた出来事は・・・、

「自分自信のこころに合っているかどうか?」
「それを受け入れられるかどうか?」


って事に、自分自身の内面に意識が向きやすい傾向があると言うこと。

“その出来事”そのものにはあまり「価値」を感じない為に、何に対してもまずは一歩引いて観察してみたり、拒否反応を示してみたりしながら、自分なりの観察試みる傾向があるのです。

特に初めての環境や初めての人との出会い、初めの場所などでは、周囲の観察感はますます高まり、自分自身にとっての“安心”が得られるまでは、集団や仲間の輪の中には入ろうとせず、自分にとって心の許せる人や、安心できる存在だと確認できた時に初めて、会話を楽しめるようになったり、言葉を交わせるようになる傾向があるようです。

そしてそれは、大人だけでなく、子どもも同じ。

私の勤める職場(スイミング)でも、初めての環境下ですぐに馴染んでしまう人も入れば、そうでない子ども達もたくさんいます。 
大人になってもいつもとは違う環境に入るとドキドキしたり、緊張してしまって慣れるまで時間ががかかるのと同じように、“不安な気持ち”を感じていればいるほど、安心してもらえるようになるまでに1週間かかる子もいれば、1年かかる子ども達もたくさんいます。

特に、論理思考(計数計算)が育まれ始める小学3年生くらいまでの子ども達にとっては、五官覚で実像化された虚像が、まだ言葉として表現できない為に、無理に環境に適応させようとする指導の在り方は逆効果になってしまう場合があります。(悲しいかな、無理に引き離そうとしてみたり、暴力的に叱りつける光景を見ると心が痛んでしまうこともあります・・・。)
また、幼少期の場合だと、絵を見せたり、写真などの実像を見せたりしながらファンタジーの世界を視覚で訴えかける事が有効なのはその為で、そのイメージが良い形で虚像化されれば、より健やかさとして成長を後押ししていくものなのでしょう。


話を戻します。


「内向的タイプ」の場合、ひとたび自分に自信が持てば少々のトラブルや他人の批判にはたじろかない強さを持ち合わせます。特定の環境になじんでその環境が「自分に合った場所」となれば強い信念よって高い能力を発揮出来るのです。



一方、「外向的タイプ」の場合は、外の世界(社会)に「興味や関心」が向けられる人。

どんな環境・状況にも積極的に適応できる人がいますが、まさにそれらは「外向的なタイプ」といえます。
また、言い変えるなら、どんあ環境・状況にも「適当に合わせられる人」だということになります。

しかし、「外向的タイプ」の場合には、自分自身の内面よりも「外の世界に強く依存している」傾向がある為に、なかなか自分自身の内面に目を向けられず、心の充足感を得られにくいと言われています。

◆内向的
・何か出来事に出会ったときに拒否するように身構える
・外の世界よりも、自分の世界に関心が向かう
・外の世界に自分を合わせようとは考えない

◆外向的
・何か出来事に出会ったとき、自信をもってスグに反応する
・自分の世界よりも、外の世界に関心が向かう
・どんな環境・状況にも積極的に参加する

もちろん、関わりあう環境下によって、その人の内向的な部分や外向的な部分の出方は変容してゆきます。

「外向的な人」ばかりの中に「内向的な人」がいると、「協調性がない」って思われてしまいますし、
逆に、内向的な人ばかりの中に外向的な人が加わると「落ち着きがなく軽薄」とか「うわべだけの価値しか知らない」という様に、非難されてしまう・・・。

実は、

・「気の合わない人がいる」
・「好きになれない人がいる」


そう思う心は、自分自身の“こころの投影”から感じる心である場合があるのです。

自分自身がもし「内向的」な傾向が強いと感じるのであれば、 「外向的な人」の事を、自分とは合わない人」「相手を好きになれない」・・・、そう感じてしまうこともあるでしょう。

「外向的な人」と「内向的な人」との関係と言うのは、誤解や偏見が生まれやすいですし、人の心をを「内向的」「外向的」のみで図れるほど簡単なものではないですね。


でも、人を批判する心と言うのは、実は、自分自身の持ち合わせていない自分自身の心に対する投影の姿。

「もし、人との関係がうまくいかない・・・」

あるいは、

「人との関係をスムーズに進めたい・・・」

そう思う人がいたなら、

人と意見が対立するのは相手が誤っているのではなく、自分も相手も人としては同じなのだと理解する視点をもつことから初めてみてはどうでしょうか?


自分自信の心の中の、「外向的な部分」、「内向的な部分」の存在に歩みよって見ると、少し心の持ち方が楽になるかもしれません。


今日の気付きでした。

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# ユング心理学(8) 感情的になってしまう心模様  Carl Gustav Jung

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◎人の“こころ”って難しいなぁ?
◎人の“こころ”っていったいどうなっているの?


誰しもがそう感じたり、悩んだりした事があるのではないかと思います。

今回は、その Part 8

“こころと身体の健康つくり”を支援する立場にある私たちのような業界においては、“身体的側面”からの視点だけでなくて、人々の内面に目を向けた、心的支援も大切な役割の一つだと考えます。
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◎私達の心の中には、たくさんの思いをもった「小さなこころ」がたくさん詰まっています。

今回は心の中で感じる“「意識」と「無意識」の心のバランス”について考えてみる事にします。

人のこころにの中というのは、

・「楽しいと感じる自分・・・」
・「嬉しいと感じる自分・・・」
・「悲しいと感じる自分・・・」
・「認められようとしている自分・・・」
・「分かってもらおうと努力している自分」
・「ウソをついている自分・・・」などなど、

物事を感じる様々な思いをもった小さな心がたくさん詰まっています。

そして、そのこころには「自分で“意識できているこころ”」「意識できていない“無意識のこころ”」があることはこれまで考えてみました。

人の“こころ”と言うのは、その小さなこころ一つ一つが「単独」で成り立っているのではなくって、お互いを補いながら“自分自身のこころを成り立たせて”いるもの。

そして、何よりも重要な事は、そのこころ同士は、決して邪魔をしたり、否定したりするものではないと言うこと。
それぞれのこころが例え、“対照的”だったとしても、どちらかがプラスでどちらかがマイナスだという事ではなくって、「互いに補っている関係」にあるのです。

どちらかの“こころ”が活発に「表」に出ている時は、もう一つのこころは「陰」に隠れる形で“こころの奥底”に静まっています。

でも、表に出ている“こころ”が、自分の気持ちに反して無理をしていたり、頑張りしすぎてしまうと、「その状態は身体によくないよ」って、それを補う為に(バランスをとる為)に、もう片方の“こころ”が出てこようとするわけです。

※例えば、こんなことはないでしょうか?

「言いたいことを言わずに我慢し続けていました。でも、その我慢が自分のこころの中で抑えられなくなってしまって“感情的”になり大爆発してしまった・・・!!」

ありますよね?

実は、こうして感情を爆発させてしまうような場合には、「無意識の心」が、我慢をし続ける事は自分の心にとっても・身体にとっても良くない事”だよ、って、判断した為に引き起こされたものなのです。

つまり大爆発する」と言う形で心身のバランスを保とうとしているわけです。

・機嫌が悪くなったり・・・、
・人に八つ当たりしてみたり・・・、
・ものにあたってみたり・・・、
・イライラしてみたり・・・、
・誰かの非難をしてみたり・・・、

実は、それも同じこと。

その理由がはっきり自分の心の中で対処できる場合には、時が経てば解決してくれる場合があるのですが、そうでない場合は、その気持ちをずっと持ち続けてしまう場合があるのです。

中には、

・いつもはみんなと一緒にいる事が大好きなのに、一人でいたくなったり・・・、
・急に寂しくなって誰かに会いたくなったり・・・。

ありますよね?

実はそれも、心のバランスを取ろうとしている事の現れ・・・。


もう少し分かりやすく例えるなら、夏の暑〜い日に、汗をかくのと同じです。

人は暑いと感じると“副交感神経”が働いて身体の中の熱を放出します。
つまり汗をかくことで、体温調節をおこない自らの身体を“守ろう”とするわけです。汗をかけないでいるとホルモンバランスが崩れたり、自律神経の乱れや免疫力の低下などの病気に繋がってしまいますからね・・・。

つまり、「おなかがすいたら、何かを口にしたくなる・・・」のと同じ様にバランスを保とうとするわけです。


そのように、人のこころの中には、自分も自覚できない「無意識」の世界があるのです。

その“無意識の心”は、“意識”からみると自覚できない事が多い為に、まるで独立した存在の様にも見えますが、実は、“足りない所を補ってくれる存在”でもあるのです。 
(二重人格といわれる症状も実は、「本来の人格(ふだん意識に表れている人格)」とは違う別の人格要素が「無意識」の中にあった、という事の現れでもあるのです。生まれてからの思い出したくない辛い記憶や経験を「無意識」の心の中に閉じ込めてしまった人格が、何かのきっかけで表に表れる場合があるのです。)

つまり、「無意識」とは言ってみれば、その人の「願望の総体」だということなんです。


近年、こころのコントロールが上手くできない人が増えていると言われています。
言いたい事が素直に言えなかったり・・・、周囲との関係を気にするが余りに気疲れしてりまったり・・・と、ちょっとしたこころのストレスから、人との関係が保てなくなってしまう人達もだんだんと増えてきていると言われています。

とくに連日、引き起こされている子ども達を取り巻く“事件の背景”には、様々な要因が考えられていますが、その一つに、「脳」の伝達力(考える力)」低下が要因だとも言われています。

具体的には、「右脳」で感じた“イメージや虚像”を、「左脳」“論理化”してゆく能力が弱くなってしまう・・・。つまり、どういうことかと言うと、「右脳」で感じたものを、「左脳」で論理化する能力が弱くなるという事は、「見たモノや、心で感じた事」が、“言葉で伝えられない”と言うこと。

「自己表現」という言葉を用いるとわかりやすいかもしれませんね。 そして、

“言葉で伝えられない”為に、心の中に溜めた感情が「暴力」などの「行動」として現れてしまう場合があると言うことなのです。


話を戻します。


考えてみると、人との関係が良いものになるかどうかと言うことは、“自分自身の心の持ち方”一つで随分と変化するものだと思えます。


今回は、“心のバランス”について考えてみました。

人との関係が「上手く保てない」「保ちたくない」「相性が悪い」、そう感じてしまう“こころ”が生まれるのは、実は、自分自身のこころがコントロール出来ない為に生まれる“こころ”。

そもそも、人のこころを思い通りに操ろうなんて考えるこころが前提にあると、それがうまくいかなかったときに、強く人を非難してしまう心へと発展させてしまう場合があるのです。

他人のこころをコントロールする事よりも、自分自身の感情をコントロールする方がはるかに難しい・・・。

人のこころを導く為には、まず自分のこころをコントロールすることが、関係形成の第一歩なのでしょう!! 


あと一歩、自分自身の内面に目を向け、歩みよれたなら、少し心の持ち方が楽になるかも知れません。





<意 識>=日常の知覚「知ること・感じること・覚えること」をつかさどっていて“考え方”を作り出したり、自分自身が自覚してコントロールできるもの。

<無意識>=意識が忘れてしまった記憶や知覚、更には意識が「関係していない」記憶や知覚が積み重ねられたもの。「認めたくない事」「思い出したくない事」「触れられたくない事」「恐怖体験」などを強く感じた場合など は忘れたつもりでいても、強く「無意識」の中に閉じこめてしまうことがあります。
それは時に、様々な感情や行動を通じて意識に働きかける場合があるのです。夢や空想とよばれるものも       無意識の一つの表れだと言われていいて、その働きかけのパワーが強いと幻覚や妄想となってしまうのです。

| comments(0) | trackbacks(0) | 23:58 | category: ユング心理学 Jung |
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