“受容”の反対っていったいなんだろう・・!?


セミナー資料を作っている時にふと感じた素朴な疑問・・・

 

なんとなく、

 

批判、拒否、批難、抵抗・・・ といった言葉が浮かんでくる

 

でも、実は、そうではない

 

 

かも!?

 

 

それらは間違った言葉だとは思わないけれど、

 

ボクはやっぱり、こっちの言葉の方が、

 

しっくりくる。

 


受容の反対って・・・

 

 

 

「無関心」

 

 

 

ってことで、

 


「トマトのお話」

 


3本のトマトを育てました。

 

1本には「ばかやろう」と声をかけ、

 

1本には「ありがとう」と声をかけ、

 

1本は無視をした。

 


無視をしたトマトは、枯れちゃったというお話

 


でした☆

 

 

さっ、帰ろ

 


こんばんは^^
ウェルビに鯉のぼりがやってきました!

koi.jpg
5月5日は子供の日。男の子の成長を祝う行事としてすっかり定着していまね。でも、もともとは“女性の為の日”だったようです!

日本では5月になると田植えが始めますね。

もともと田植えは日本古来の神聖な伝統行事で、若くて清らかな女性たちが体を清めるための儀式として行われていたそうです。中国でも5月は病気や災厄の月とされていたようで、特に月と日が重なるときには菖蒲(しょうぶ)や蓮(れん)で清められていたそうです(驚)。それ以来、この2つの伝統行事が融合され、田植えの前には女性が菖蒲酒(しょうぶさけ)で体を清めるために行われるようになった・・・。これが「こどもの日」の始まりなのです。

Q:なぜ“男の子”を祝うお祭りへと変化したのでしょう???

鎌倉時代に入ると、武士の力が強くなって、徐々に男性中心の世の中にその形を変えていきます。葉の形が剣に似ているということで兜に菖蒲(しょうぶ)を飾ったり、兜や鎧が身を守る象徴であるとのしきたりがうまれたり、「菖蒲」は「勝負」という言葉にかけられたりするように変化してきたそうです。そんな風に、菖蒲湯(しょうぶゆ)で身を清めたり、 兜や鎧を飾る風習が定着していく過程を経ながら、“女性”のためのお祭りから、“男の子”を祝うお祭りへと変わっていったのです。

Q:なぜ“こいのぼり”なのでしょう???

鯉は清らかな川だけでなくて、池や沼にも生きていけるほど生命力がとても強いと言われていますね。なので、子どもの健康を願う象徴として使われていました。中国では竜門という滝があってそこを登った魚は竜になるとも言われていたそうです!その滝が登れるほどの元気な魚は鯉を除いて他にはいなくて、そこから鯉は出世魚の代表として旗やのぼりまでたててお祝いをするようになったのです。

今では、5月5日は「子どもの人格を重んじ、幸せや成長を願う日」

晴れやかな五月晴れの中、女性も、子どもたちも、あなたも、わたしも、みんな、元気に泳ぐこいのぼりのように過ごしましょう☆


こんばんは^^
今日は隣町の湖南市で開催されていた岸見一郎先生の講座に参加させていただきました。
岸見先生といえばアドラー心理学の第一人者。著書の「嫌われる勇気」が大ベストセラーですね。“共同体における、よりよい関係づくり”がテーマだったのですが、人としての“在り方”について、自分のなかでしっくり、穏やかに、それでいて心地よく受け取ることのできた素晴らしい時間でした。


人は、「特別なことをしないと認められる存在ではなく、もともとありのままで認められる存在。」


その言葉に、うんうん、と相づちをうちながら、そうなんだよな〜と、共感している自分と出会いました。一昔前なら、ありのまま・・・。そのことの意味すら理解できなかったのではないかと思います。


人は、時を重ねると、“欲”というものが膨らみますね。産まれて来てくれたときには、ただただ生まれて来てくれたことにありがとう・・・。。そんな風に思っていても、その欲と一緒に、他者に対する“期待”もどんどん膨らみますね。こうなってほしいとか、こんな人生を歩んでもらいたいとか・・・。

その“欲や期待”が、膨らみ始めたとき、己の満足を満たす為だけに矛先が向いてしまうことがあります。そして、その期待と現実とのギャップに遭遇してしまったとき、その事を許可できない自分と出会い、とまどい、誰かのせいにしたくなり、自分を責めてしまうことがあります。


だけど、


目の前にいる人は、ありのままの姿で、生きてる。


そして、


その人たちによって、僕たちは活かされてる。


私達が、他者との関係の中で、大きな出来事に直面した時、

「あなたのことを信じていたのにー!」の言葉を耳にすることがあります。

「なんでー!」と怒ったり、責めたり、目の前の人のせいにしてしまったり。

だけど、人を信じるって、そういうこと???

「私、信頼していたのにー」は、信じることによって得られる自分にとっての利潤、あるいは信じたいと意識に言い聞かせている状態が“前提”にあって、信じていた通りにうまくいかなかったことによって、自分が何かしらの不利益を感じたり、自分がその不利益を被りたくないと思う感情が、「私、信頼していたのにー」として現れたものなのだ(バカボン風)


たとえ結果的に、


・任せていた仕事が、うまくいかなかったとしても、
・約束していたことを、やぶられたとしても、
・頼んでいたことが、守って貰えなかったとしても、
・信じていた人に、裏切られたとしても
・思い描いていたように進まなかったとしても、


たとえ結果的に、

・できなかったとしても、

・うまくいかなかったとしても、
・間違いをおかしてしまったとしても、
・歩けなくなってしまったとしても、
・走れななくなってしまったとしても、
・飛べなくなってしまったとしても、
・登れなくなってしまったとしても、
・潜れなくなってしまったとしても、
・渡れなくなってしまったとしても、


それを全部をひっくるめて信じきる。


“今ココ”を乗り越える力をもっていると。


それがきっと、ありのままを認め、受入れるということなのでしょう^^


今の社会にはもしかすると、その“マインド”がまだ追いついていないのかも知れない。

こんなに物質的に豊かなのにいろんな事件がどんどん増えてくのは、信じたいのに信じられず、必要とされず、仲間だと心から感じることができない心の叫びなのかもしれない。ホントは希薄感を感じていないのに、世の中の訴えがその思考を強化させているのかもしれない。

信じるか信じないか、ということよりもっと大切なことは、「自分の責任において、自分で判断する」ということ。たとえそれが、うまく行かなかったとしても、できなかったとしても、自分の意志で信頼していたのだから、後悔はないと思えてはじめて信頼と呼べるのかもしれもません。


「生きていてくれてありがとう」その言葉を胸に、自身のマインド(あり方)を更に育んでいくことにしよう☆



こんばんは^^

雪景色から一転、ウェル・ビの空は青空が広がりました。梅のつぼみは花咲始め、ようやく春の兆しです。

今日は、CHEERSイベントDAY。絵本広場&ミニ手作り市が開催されました!

広場では“おおきなかぶ”をテーマにしながら、うんとこしょ♪どっこいしょ♪の保育士ナレーターのかけ声とともに親子連れの子ども達で大賑わい。アイコム甲賀のTV取材も入り放映が楽しみです☆

ミニ手作り市では、色とりどりの手作り作家さんのパンが並び、手作り雑貨も勢揃い。

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そして、


今日は、カラーセラピー&ミュージシャンとしてご活躍なされているLoveLightの愛さんもお越し下さりました。

昨年の私のカラーボトルは、「新しい可能性/過去との決別/新しい出発」

今年のカラーボトルはなんと“クリア・ゴールド”でした。

光が射し込み、形になる年。人脈、仕事etc・・・ビジネスとして形創る為の土台が固まり始め、後に控える人生の選択を大きく後押しする素敵な年になるそうです。

新しい知識や研究を更に深めながら、臨床経験を重ねることで、新たな可能性が更に開かれるとのセラピーに、内面とリンキングする感覚を熱く感じました。

更に驚いたのは引いたカードに現れた“白い馬”が私。諸所の思いを抱えた人々を乗せて、その人が、その人の力で歩き出せるように導いてゆく...(驚×2)


僕たちが、新しい何かに向かって歩き始めると、そんな時に限って大きな壁が目の前に立ちはだかることがあります。僕はいつもそうでした。


でもそれは、


その先のありたい理想があるからこそ、現われる壁で、

ありたい理想がなければ、そもそも現われない壁。


だとすると、


ネガティブは、ポジティブを土台にしている。


楽しく、明るく、幸せで、穏やかで、誇らしげで、豊かで、熱く、強いと感じる何かが先にあるからこそ、僕たちの前に現れる...

不安や、悩みや、迷いや諸所の葛藤。


起る出来事にはきっと意味があるのでしょう。


GOALはいつもハッピーエンド。起る出来事は全てそこに至る過程。

私の大好きな言葉です☆


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立ち上がる時にや何か動作をするときに、思わず口にしてしまう

“よっこいしょ”

実は魔法の言葉だった!


昨日、成人会員のAさまと施設のサウナでご一緒させて頂いたときの一コマ。

僕たちは、立ち上がる時や、何か動作を行おうとするときについついこの言葉を口にしてしまうことがありますね^^

実はこの「よっこいしょ」

その語源は、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」という説にあるそうです。

六根は・・・迷いや私欲を引き起こすとされている「目・耳・鼻・口・身・意」の6つの器官のこと。

「五感」+第六感とも言える「意識」が合わさったもので、もともと迷いや私欲を絶ちきって、清らかな心を呼び起こすときに用いられていた言葉だそうです。

※「六根清浄(ろっこんしょうじょう」 → 「どっこいしょ」→「よっこいしょ」

“よっこいしょ”というと、なんだか恥ずかしい言葉にも思えますが、実は、心の豊かさを呼び起こす魔法の言葉だったのです。


そして更に、


「よっこいしょ」とかけ声を掛けることで自然とお腹にも力がはいりますね。

私達は、無意識で息を吐いたり、吸ったりしています。

息を吐いているときには力が抜けやすく、

息を吸っているときや止めているときに力が入りやすくなりますね。

若いうちは筋肉があるので自然をその動作ができていますが、年をとると筋力は衰えがちになるので、“よっこいしょ”言葉とともに次の動作をよりよく行いやすくなり、更に腰痛予防にも効果的なのです。


そして更に更に、


“よっこしょ”の言葉には、よいことがたくさんありますようにの意味もあるんだよと教えて下さいまいました。

Aさんの言葉を心に、肯定的に用いて行きたいと思います。


こんばんは^^

いよいよ年末ですね。時が経つのが本当に早い。

blogを書く度にその言葉を口にしているように思います(笑)

プールでは、今週末もお泊まり会イベントで大賑わいでした。キッズダンスの子ども達はケーキ作りをしたり、競泳の子ども達はお鍋の具材何する?とみんなで選んでほっこり鍋を囲んだり、幼児教室の子ども達はクリスマスツリーをつくって大興奮。夜の演奏会では自分で作ったマラカスでシャカシャカジングルベル♪たくさんの笑顔が見られました☆まだまだこの後はスケートのイベントや泳ぎ納めなどが控えています。たくさんの体験を後押しできるようお手伝いさせていただきたいと思います。

◎さてさて、話は戻りますが、なぜこんなにも時間が経つのがはやいのか???

何か新しい事や夢中になれる時間があると、あっというまに時間が過ぎていくという感覚を感じられた方も多いのではないでしょうか。小学生の時は1日、1週間がほんとに長く感じられたものです。でも大人になるとなぜだか短く感じますね。

・同じ作業を繰り返していると、まるで時間が止まっているかのように長く感じる事があります。

と思えば、

・何かに夢中に取り組んでいる時には、あっという間で短く感じられることがあるものです。

さらに、

・時間の流れが苦にならず、いつのまにか過ぎ去っていた・・・なんてこともありますね。

不思議です^^

その事を説明された一説に「ジャネーの法則」というものがあります。

同じ1年でも10歳と、60歳とでは、人生の比率が前者は10分の1。後者は60分の1と大きく異なります。後者はその分同じ時間でも短く感じるということですね。

子どもの頃は、見るのも、聞くのも、体で感じることも、その全てが新鮮な体験でした。新鮮な体験=体で感じる経験が多いほど時間の経過は長く感じることが多いようですね。大人になると意識的に処理することが多くなり、体で感じる新鮮さからは遠のいてしまうのでしょう。

ちなみに「ジャネーの法則」は19世紀の哲学者ポール・ジャネ氏によって発案されたもので科学的な裏付けは特にありません^^

更に、心理学的には「時間評価」として扱われている場合があります。

僕たちの身体には体内時計(心的時計)というものがありますが、身体の状態が活発で速く進むと、実際の時計よりも速く感じます。また、身体の状態が不活発になると、実際の時計よりも遅くなる。

そう考えていくと、時間の感覚というものは、自分自身の内面と深く影響しているような気がするものですね。

“出来事”に対して、自分の“意識”と“内面”がちゃんとリンキングしているフローの状態にあるときに豊かな感覚が訪れる。

心が望んでいる方向に一歩踏み出すことが出来たなら、自ずと豊かさも訪れていくのでしょう。

見て、聞いて、感じるたくさんの体験活動を通じてゆたかな心が育ちますように☆

ps.長い間、たくさんの景色を届けてくれた愛車ともうすぐお別れです。次の車はいったいどんな景色を届けてくれるのでしょう♪


こんばんは^^
水木しげるさんが亡くなられました。

妖怪の世界を通じて描かれたゲゲゲの鬼太郎の作品は、人の“欲”の部分を面白おかしく表現されて、とても印象深い作品であったように思います。

戦争を体験され、空爆で左腕を無くされた水木さんの描く世界。

戦争から生きて帰ってきた時、「お前だけ生き残ったのなら、お前も死ね」と言われ、とてもビックリされたそうです。

それ以降、一度失った人生を、妖怪の世界や死後の世界で表現されてこられたようにも思えます。

水木さんの残された言葉の中に、

「人は食って、死ぬだけ」

という言葉があります。

この世界で生きていく事。

それは、ただただ、神経をすり減らしていく事に過ぎず、「食べる事から解放されたとき、楽園である」と。

死とは、ただただ食べる事から解放されることだとしたら、

それは、楽園なのかも知れません。

僕たちは、何か大きな出来事に遭遇した時、それを苦労として受け取ることがあります。

でも、

果たしてそれは真実なのでしょうか?

執着を手放し、ただ食べて寝ることに意識を向ければ、それほど難しい人生ではないのかも知れませんね。

生に対しても、死に対しても、意味づけの異なる世界がある所に、

苦労を苦労とさえも感じさせない、超越した世界を感じました。

食べる事を忘れるくらいに夢中になれることがあるとしたなら、それはそれで楽園なのかも知れません。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。



■水木さんの 「幸福の七箇条」 を見つけました。

真理に根ざし、魂のステージを上げる名言です☆

1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
2.しないではいられないことをし続けなさい。
3.他人との比較ではなく、あくまで自分の楽しさを追求すべし。
4.好きの力を信じる
5.才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
6.怠け者になりなさい。

7.目に見えない世界を信じる。


こんばんは^^

今日は午後から「滋賀 教育の日2015フォーラム」に行ってきました。
フォーラムでは元大阪市立大空小学校の校長を努められた“木村泰子氏”の講演会があり、お話を聞かせて頂きました。

ご存じの方もおられるかも知れませんが大空小学校は、平成25年に文化庁芸術祭大賞を受賞された映画「みんなの学校」の活動拠点。

学校が変われば、地域が変わる。そして、社会が変わっていく。

全ての子どもに居場所がある学校を作りたいとの思いから、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちを上手くコントロールできない子も、みんな同じ教室で学べる土壌を作り、児童と教職員と、保護者、地域が一緒になって誰もが通い続ける事の出来る居場所を目指し、不登校ゼロ。

子どもたちの心情に寄り添うドキュメントや、諸所の思いを抱えながらも自ら乗り越え自立していく子ども達のお話は涙涙でした。

中でも、

自ら死なない力。自ら死なせない力。は心に響きました。

誰の為の学校なのか?

その問いの答えが、そこに携わる人の心に根ざし、ありのままの姿を大切に見守れる環境が、きっと、

子どもたちに根ざした心の豊かさを呼び起こしたのでしょう。

多様化する今の時代。

人の当たり前を理解する中で、自らの当たり前が広がっていく。

そして、

人を助けるのではなく、
人の中に潜在しているものを認めて、
それ自体を人が認められるまで、
そこに存在していることで、

変化を促進していく。

改めて、

あり方としての学びを深める事のできた時間でした☆



私のブログにいらして頂いた皆様に感謝です!何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。

こんばんは^^
今日は、朝から1日プールのLessonーDay。
午前中は “歩行改善教室” という教室に入水をさせて頂いているのですが、本日、この教室を体験したいと、私と年近い成人のお客様が来て下さいました。お心の内を聴かせて頂きながら感じたこと。

それは、

五体満足当たり前に与えられていることに感謝する気持ち。

当たり前に在るものって、当たり前にあると感じられてしまうものだから、ついつい感謝の心から遠ざかってしまうことがあるものですね。

五体満足に揃っているのに、

出来ない、むつかしい・・・、こんな言葉もたくさん聞こえて来たりもする。

今ある現実が、人と比べてどんなに足りなかったとしても、

こんなにもいろいろと揃っているという現実と、あるものに囲まれた現実。

ありがとうが日常から減っていくと、感謝より、欲がきっと大きく育つのでしょうね。

欲ばかり追いかけていると、恵まれていることより、
足りていない心がきっと大きく育つのでしょうね。

自分の欲中心で動いているときほど、
思い通りにいかないから、
落ち込みやすかったりもするのでしょう。

・朝が来て夜がくること。
・歩けること。
・言葉が自由に話せること。
・水が飲めること。
・手足を自由に動かせること。

これらはどれも当たり前すぎて、ありがとうとお礼を言うほどのことではないかもしれない。


でも、

そのおかげで今の自分が生きているという事実に気づかないといけない・・・。

現実を受け入れ、生きる意思の力強さと出会い、

ふとそう感じた今日でした。


私のブログにいらして頂いた皆様に感謝です!何か一つでもあなたの心に響くことがあったなら、その響きを大切な人に分けて頂けるととても嬉しく思います。







〜何して遊ぶ?part.2 の巻〜







小学生対象の学童教室より一コマ^^



プールのメイン練習が終わると待ちに待った遊びの時間。いつもなら子ども達同士が相談しながら、コーチそっちのけで遊びたい放題な子ども達^^ 。でもそろそろネタがつきたのか、子ども達の方から私に「何して遊ぶ?」の声が・・・





そこで、





「ビート板を4枚重ねて、プールの底に沈められるか大会」を提案してみました!!





すると・・・





・子ども 「そんなん簡単やで!すぐできるわ(笑)」

・よっしー「じゃあ、やってみて(笑)」

・子ども 「あれっ、沈まへん・・・。なんでやー」



(奮闘)



・よっしー「できた??」

・子ども 「なんでや!できへん・・・(汗)」



(奮闘)



・よっしー「どんな方法を使ってもいいでー!」

・子ども 「わかった!!」



(相談)



・子ども 「じゃっ、よっしーがやってみて!!」

・よっしー「えっ?なんでよっしーがやらなあかんの??(驚)」



・子ども 「だって、どんな方法使ってもいいって言ったやん!!」

・よっしー「うっ。。ほんまや・・・(汗)。じゃあやってみるわーー」



(よっしーの挑戦)



・よっしー「う〜ん、できへん・・・」



(あえて失敗してみると)



・子ども 「大人ができひんこと、僕らもできへんわー」

・よっしー「うっ。。(汗汗)」



(気を取り直し)



・よっしー「そうとも限らんで!大人が出来ひんからといって、みんなもできひんとは限らんと思うけど・・・。。」



・子ども「う〜ん。。まぁそやな。。」



(奮闘→諦めモード)



・「これ、何の意味があるねん!!」



・よっしー「うっ。。なんの意味ってそれはやな(汗汗汗)」「あえて意味を付けるとしたらどんな意味があるやろ??」



(質問)



・子ども「う〜ん。それは“考えると言うこと”やな。。(いつも無口で冷静沈着な6年生のK君からこんな言葉が!)」

・よっしー「おぉーそうやな!!(予想外の返答に驚きと共感)」



(更に奮闘)



・子ども「やっ、やったーできたでー!!」

・よっしー「やったー!おめでとー☆」





「何して遊ぶ?」は、“考える力を育む源”。たくさんのリソースが育ちますように☆



ps.子供たちの言葉巧みな切り返しに汗×3×しどろもどろな私でした^^



(つづく・・・)





 


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